母、松﨑トシが7月20日19:12に永眠しました。88歳でした。
一昨年秋に自宅の廊下でつまずいて大腿骨を骨折して以来、特別養護老人ホーム「のぞみの苑」でお世話になり、療養生活を送ってまいりましたが、肺炎のため7月16日に惠愛堂病院に緊急入院し、わずか5日で帰らぬ人になってしまいました。
5日間の入院中は、私たち姉弟や孫たちが昼夜を問わず母の体をさすり、声をかけて快復を願いました。息を引きとる瞬間は病室で12人の家族に見守られての大往生でした。
私の生みの母親は私を産んで3時間後に亡くなっています。上2人が女で3人目は男の子が欲しいと願い続け、「今度は男の子ですよ」というお産婆さんの声を聞いて、小さくうなずいて息を引きとったそうです。
そんな松﨑家に2度目の母・トシが嫁いできたのは私が2歳の時でした。商売屋で舅、小舅、小さな子供が3人もいる大家族に嫁いできた母の苦労は並大抵のものではなかったと思います。やがて、弟・幸弘が生まれ、私たちは4人姉弟になりました。母トシの生涯唯一の願いは「姉弟仲良くしてほしい」ということであり、母の期待通り、私たちは真の姉弟以上に信頼し合って生きてきました。
母の最期の5日間、弟はずっと母のベットに付き添い、私たちも母の体をさすりながら、「足利の親戚が来るまで頑張れ」、「彰人が来るから頑張れ」、「有香がもうすぐ来るぞ」と声をかけ、母もそれに答えるように頑張って精一杯呼吸をし続けてくれました。
母が最期の呼吸をし終えた後、私は思わず母へ感謝の拍手をしてしまいました。
これからも「生みの母」、「育ての母」への感謝を忘れないように生きて行きたいと思っています。