今日は70年目の終戦記念日です。
戸籍上では私の父・松﨑福司は昭和17年12月31日に母・中野ちよと結婚入籍し、翌年の昭和18年11月26日午前7時に大間々駅か
ら町内の人たちに見送られて出征しました。満州で終戦を迎えた父はソ連の捕虜となり、シベリアに抑留されました。
抑留中にシベリアから届いたハガキを偶然にも一昨年の8月18日に発見しました。
全てカタカナで書かれたハガキには、「チチウエ、ハハウエ、チヨ、ソシテオトウトタチ、ミンナオゲンキデスカ」という書き出しで始まるハガキには、家族を心配させないためか本当のことを書けないのか、「…トニカク ナニヒトツナスコトナク マタ ナニモカンズルコトナク メイレイニヨッテ コウシテイルワケデスカラ ケッシテ ヘンナゴソウゾウヲナサルニハオヨビマセン」と記されています。
そして、「モウ タカツドノアタリモ コウヨウデキレイデショウ 「ナガメ」ハ アイカワラズヤッテオリマスカ」 と故郷を懐かしんでいます。
「ナニヒトツナスコトナク」とは裏腹に、強制労働の毎日を送っていた父は、帰国後、
当時のことを手記にまとめています。多くの戦友が極寒の地で命を落としていった中、昭和22年6月26日に無事に生還してくれたお蔭で私たち姉弟が生まれ、私たちに子や孫が授かりました。悲惨な戦争を繰り返さないためにも父たちの戦争体験を後世に伝えることが私たちの役目だと思っています。