先日来、足利屋の事務所や倉庫の片づけをしていました。
偶然にも8月15日の夜、父の書類の中に「戦慄の思ひで」と題する、シベリヤ抑留中の出来事を記した手記が出てきました。子供のころから何度も聞かされていましたが、終戦記念日や9月23日の命日を迎えるたびに、「もっとしっかりと聴いておけばよかった」と後悔していました。手記は便箋に10枚。他に軍服を着た写真と戦友会の案内が入っていました。おそらく、戦友会の会報に載せるための原稿であったと思われますが「…昨年、(昭和)四十九年四月二十九日、部隊戦友会の計らいにより、靖国神社に於いての慰霊祭に参加することが出来、初めて 」まで書いたところで終っています。結局この原稿は誰の目にも触れずに35年間、倉庫の中で眠っていたことになります。
手記にはシベリヤの過酷な環境や強制労働のことが記されています。あるとき、小舟に乗せられてアムール河の支流の川を渡っている際に舟が激流に飲み込まれ、36人のうち24人が亡くなるという惨事に見舞われました。そんな中で父が九死に一生を得られたのは、数日前に戦友が川に飯盒を落としてしまい、その飯盒が左岸へ流れていったのを思い出し、元の岸に戻るのではなく左岸へ向ったからでした。その時の状況を手記の中でこんなふうに回想しています。
…流れにまかせて左岸へ向った。これこそ正に生か死かの戦いだ。瞼の中に家族の顔が次々に浮かんでくる。「しっかりしろ」「頑張れ、頑張るんだ」「死んじゃ駄目だぞ」と励ましてくれる。故郷の山々、高津戸の峡谷も目に映る。そうだ、家族の者は毎日、俺の無事を祈っているのだ。俺は絶対死んではならない」 そう強く感じると、急に元気が沸いてきた。…
父が生きて帰ってきてくれたお蔭で私たち姉弟が生まれました。
この手記は来月の10回目の命日の日に姉弟・親戚に配ろうと思っています。