友人のキヨシさんから貴重な写真を提供していただきました。
昭和20年に特攻隊員が大間々のながめに来た時の記念写真です。
当時16歳だったキヨシさんのお母さんの文子さんも写っています。
短歌や書道をはじめ多彩な趣味を持っていた文子さんの自伝『千曲川』には、昭和19年、文子さんが勤労奉仕をしていた太田の中島飛行機工場が空襲で焼失したあとのことが記録されています。
明けて昭和20年ともなると、当時働いていた子女たちは、大間々の狭い町にあちこちと分散していた。「ながめ」通りの工場にいると、誰かが「今、ながめに特攻隊の人たちが来ているよ!」と言った。仕事も大した事もなかったので、皆で行ってみた。顎に白いマフラーをしていて、飛行帽をかぶった10人くらいの特攻隊員がいた。写真屋さんを呼んできたのは誰だか定かではないが、ながめ旅館の庭に浅間の焼けた石が積んであり、その前で記念写真を撮った。
登校日に学校へ行くと、教頭先生に大いに叱られた。
1枚の写真に多くの人の人生と歴史の一幕が潜んでいますね。
以前、文子さんの歌集のことを「虹の架橋」やブログでも紹介したことがありました。文子さんはとても素敵な人でした。
http://yachan405.exblog.jp/12080156